気温33℃
- トランジェントのシェイピングとモーフィングが、自分のサウンドデザインにおける主たる関心になっている。
- コンプレッサーも突き詰めればトランジェントをシェイピングするという意味でトランジェントシェイパーの一種だろう。コンプレッサーの音圧を上げるとか音量を均一化するという働きが求められる場面は案外限定的で、じつのところエンジニアにとってのコンプレッサーはまずもってトランジェントの操作のための道具なのではないか。
- トランジェントをシェイピングすると体感的な「はやさ」が変わる。それに応じてか、それと同時にかはわからないが、なんとなく「鮮明さ」も変わってくる気がする。ハイファイだと感じる音楽は音響的にはトランジェントがよく整備されている印象がある。
- トランジェントをシェイプするといっても、単にトランジェントシェイパーのAttackとSustain/Decay/Releaseを操作することと同じではない。肝心なのはミクロなトランジェントとマクロなトランジェントの操作である。ミクロなトランジェントは例外もあるが概ねトランジェントシェイパーやコンプレッサーで操作できる。マクロなトランジェントは、どこにトランジェントが立つべき余白を作るかとか、あるいはもっと大胆にこの曲のverseのケツはクレッシェンドさせようとかサイドチェーンを使ったダッキングをこの曲の全体に施そうとか、そういう話である。
- 友達とグラニュラーの話をしていて、なぜグラニュラーはつまらない音になりがちなのか、ということを考えていた。
- グラニュラーは粒の数を増やすほどトランジェントのある音の密度が上がりすぎて、速度のレンジが狭くなり不鮮明になる。そういうマクロなトランジェントを作りたいのであればそれでもいいが、大半のケースでは望ましくない。であるからグラニュラーはミクロなトランジェントに注意しながら、いかに粒を減らし、いかに粒それ自体をユニークなものとするのかに意識を向けたほうがいい結果になるのかもしれない。
- あるいは、グラニュラーはひたすらに拡散し、その状態を持続させるような効果を生み出す傾向にある。ここでマクロなトランジェントに目を向けて、ダッキング、モーフィング、フェーズキャンセルなどの手法を駆使して、音に空間的・時間的な伸び縮みを与えてあげれば、グラニュラーの拡散と持続が生み出す平坦さ(ある意味でのローファイさ?)を回避できるのかもしれない。
- モーフィングの話はまた別の機会に考えたい。
- MeldaProductionのMMorph、試用版を誤魔化しながら使うのに限界がきてるので買いたいが高い。早くセールになってくれ。
気温33℃
- ちまちまと読み勧めていた井筒俊彦の『意識を本質』、読み疲れしてしまって、ついに飛ばし読みしてしまった。
- が、改めてあとがきを読んでみると、自分の着目点にどういう変化があったのかわからないが、ぶち刺さることが書いてあった。以下、Google レンズのOCRを経由して引用。
それにしても、この試作、東洋哲学と銘打っておきながら、西洋哲学特有の概念をふんだん に使い、かつ西洋哲学的問題意識が至るところに混入していることに、不審の念を抱かれる向 きもあろうかと思う 。 しかし、ひるがえって考えてみれば、それこそ逆に、現時点において構想される東洋哲学な るものの、あるべき姿なのではないだろうか。科学技術に基く西洋的文化パラダイムが、事実 上、人類文化の共通パラダイムになり、好むと好まざるとにかかわらず、その基礎の上に、人 類が地球社会化への方向を目指して滔々と流れつつある現在、徒らに西洋を無視して東洋だけ を孤立させて論じることは無意味だし、また実際上そんなことは不可能に近い。 世界に向って 開けた視野において、ものを考えようとするかぎり、人類の現在的状況では、東洋哲学といっ ても、どうしても西洋哲学が深く関わってくる。 そればかりではない。特に、明治以来、一途に欧化の道を驀進してきた我々日本人の場合、 ばくしん 4 その意識少くとも意識表層は、もはや後にはひけないほど西洋化しているのだ。ほとんどそれと自覚することなしに、我々は西洋的思考で物事を考える習慣を身につけてしまって いる。つまり、ごく普通の状態において、現代の日本人のものの考え方は、著しく欧文脈化し ているし、まして哲学ともなれば、既に受けた西洋的学問のが、 それをべつに意図しなく とも我々の知性の働きを根本的に色付ける。 だが、他方、日本語によって存在を秩序付け 日本語特有の意味分の網目を通して物事を 考え事をし、 日本語的意味形象の構成する世界を「現実」としてそこに生きる我々が、 心の底まで完全に欧化されてしまうことはあり得ない。ということは、要するに、我々現代の 日本人の実そのもののなかに、意識の層と深層とを二つの軸として、西洋と東洋とが微妙 形で混交し融合しているということだ。 古来日本人は歴史的に、いつもこのようなパターンで自己の文化を形成してきたの ではないだろうか。「和魂漢才」とは、まことに言い得て妙。漢と西との実質的違いこそあれ、 結局は同じ一つの文化パターンである。そして今また我々現代の日本人が、こういう東西二座 軸をもって、「東洋的なるもの」を考えなおし、再評価していく、そこにこそ日本の 置かれた現在的世界状況における東洋哲学の意義と問題があると私は信じる。 東と西との哲学的関わりというこの問題については、私自身、かつては比較哲学の可能性を 探ろうとしたこともあった。だが実は、ことさらに東と西とを比較しなくとも、現代に生きる 日本人が、 東洋哲学的主題を取り上げて、それを現代的意識の地平において考究しさえすれば、もうそれだけで既に東西思想の出逢いが実存的体験の場で起し、東西的視点の交錯、つまり は一種の東西比較哲学がひとりでに成立してしまうのだ。「意識と本質」は、この意味でもま た、一つの小さな試作である。
- これはあくまで哲学領域の話だからそのままスライドしていいわけではないが、なんとなく「邦楽」においても、「ことさらに東と西とを比較しなくとも、現代に生きる日本人が、 東洋哲学的主題を取り上げて、それを現代的意識の地平において考究しさえすれば、もうそれだけで既に東西思想の出逢いが実存的体験の場で起し、東西的視点の交錯、つまりは一種の東西比較哲学がひとりでに成立してしまう」ということがあるような気がする。
- 「どうしようもなく日本人である」という感覚は、日本人の父母をもつ日本生まれ日本育ちの人間であれば多かれ少なかれもっているのではないか。少なくとも自分はそう感じている。イキってフランスの現代思想書を読むと、根っこから理解できないものがあると感じるし、逆に巷での常識的な理解に反して「これって要はこういう日本的感覚に近いよね?」みたいな理解で突破できる感覚が生じてくることも少なくない。まあ後者は単に比喩がうまくいっただけなのかもしれないが。
- で、どうしようもなく日本人である自分は、やはりどうしようもなく日本の音楽の方が馴染むところがある。他方でグローバルな問題意識みたいなものも現代人としてある程度は持ち合わせている。日本の音楽の方もグローバル化の跡が刻まれている。ならば井筒のいう東西的視点の交錯はすでに十分に達成されていて、あとはよく聴き込むことが大事なのかもしれない。
- ついつい自分は「日本の産業構造がこうで、市場規模がこうなので、日本の音楽はどうやってもこうなる」みたいな構造的なものの見方をしてしまうが――その構造にもすでに東西市場的な要素が十分に練り込まれてるからそれも無駄ではないと思うが――東西の音楽を実存的体験の場において理解することにちっとばかしフォーカスしたほうが実りがあるのかもしれない。
- といいつつ、最近図書館の新庫コーナーに『ハウス・ディフィニティブ』があって借りてきて島たのでハウスミュージックについてお勉強する日々が続きそう。
気温29℃
- ライブ用にArturiaのBeatStepというMIDIコントローラーを買った。
- むかしは初代Pushをもっていたので、デバイスを選択してつまみをいじるという動作ができるのは当たり前だと思っていたが、それはControl Surfaceの機能のおかげであったようで、対応していない機種でそういう動作をさせようと思ったら、自力でAbleton User Remote Scriptを書かなければならないらしい。面倒くさい。
- BeatStepもControl Surfaceに対応しているはずなのだが、かなり古い機種なのでLive11ではまともに動作しなかった。
- 高くても最新のMIDIコンを買って細やかな動作に対応させるか、自力でScriptを書くか、大雑把な設定だけで乗り切るか。悩ましい。
- RemotifyというRemote Scriptsを非開発者でも開発できるようにするノーコードツール?があったが5~60ユーロする……。ツールとしては安いけどMIDIコンの価格を考えると高い……。初代Pushか2を買おうかなあ。もっとコンパクトな機種出してくれないかなあ……。
- 色々考えたけどとりあえず直近のライブは最小限の機能で乗り越えて、今後は自力でRemote Scripts作って何ならそれを販売しようかな。
気温27℃
- 発作的に54-71を聴く時間がちょこちょこある。
- 自分の中で「鋭さ」の一つの到達点として54-71がある。
- 「鋭さ」が流行る気配がなくて悲しい。
- いつかこういう音楽もやりたいな。年取ってからできる音楽なのかはわからないけど。
気温27℃
- 久々にライブをした。
- いつもライブは相方に任せっきりだったのでいい経験ができた。今後も色々とライブやっていきたい。というかもう次の予定が決まっている。喜ばしいことこの上ない。
- 侑士さんがラストにかけてたINOKI BOM-BA-YE、あまりにもいい曲で帰りの車内でも流した。
- 「電子音楽」にフォーカスしたイベントで、自分らの音楽のポップス的な構造をクラブ的な構造や流れにいかにアジャストできるかという点に苦心したが、なんとかなったようなならなかったような。でも楽しくできたのでよかったかなと。
- Socore Factory、今までに行った同じくらいの規模感の箱では一番好きかもしれない。
- 自分も相方の話や界隈から流れてくる諸々からなんとなく知ってる程度ではあるが、渋谷の再開発や諸々の関係者の尽力を背景に、下北沢で新しいシーンが醸成されてきている云々の話は、案外関西だと知られていない様子。
- まあ自分もようやっと関西の音楽シーンの布置が朧げに見えてきたところではあるので、そりゃそうだ、という話ではある。
- めっちゃ売れてるし大丈夫でしょ!と思ってヤフオクで買った法人向けラップトップの中古品が、相性の問題か何かわからないがCPUの負荷に関係なく音飛びしまくる。めちゃくちゃ困るのでどうにか解決したい。LatencyMonというソフトで原因特定できると聞いて試してみたがわからず。