雑記 2023/01/16 レジェンドの想い出

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Jeff Beckと高橋幸宏が急逝した。
正直どちらの御人についてもファンかと問われると微妙なところだが、Jeff BeckのBlow by Blowはギターを手にしたばかりの頃に聴いていたし、YMOも人並みには聴いていたと思う。
とはいえ、同じブルースならJeff BeckよりStevie Ray Vaughanの方が好みだったし、テクノポップならKraftwerkの方が聴いていたからまあ語るほどの思い出も思い入れもない。
ただふと思い出した個人的な経験則がある。それはレジェンドのライブにはなにか重要なことに関する教育的含蓄があるという法則である。
金に余裕があるときはメンツがどうであれフジロックやサマソニ、ソニマニなどのフェスに行くようにしているが、フェスでは必ずしも観なくていいと思っているようなアーティストのライブを、休憩やひまつぶしの名目で、なんだかんだ観てしまうことがある。
2012年のフジロックでは、土曜グリーンの大トリ、Noel Gallagher's High Flying Birdsを観たくて、グリーンのその前の時間帯にやっていたToots and the Maytals、Ray Davies、The Specialsを全部観ていた。
いや、正直なところ、The Specialsのライブしか思い出せないからもしかしたら飯を食っていたり他のライブを観ていたりしたのかもしれない。改めてタイムテーブルを見返してみると、Rovo、Spiritualized、Monoなど、僕の好きなアーティストが彼らの裏でライブをやっていたようで、そちらを観ていた疑いも拭えない。しかし、曖昧な記憶には「僕はそれらのレジェンドを一夜のうちに全部観たんだ!」という自負の痕跡がある。
まああやふやな記憶を変により強固にするのも危険な気がするから、唯一はっきりと記憶に残っているThe Specialsのライブの話をしよう。
当時僕は高校1年生でろくに音楽を知らなかったが、The Specialsは何かの雑誌で知って1stアルバムだけはよく聴いていた。
当時は日本のメロコアの流れを組むスカパンクがどうにも軽薄に感じられ、その逆張りでスカの古典であるThe Specialsを称揚することが高校生の僕のプライドにとって重要だった。
僕は小ちゃなプライドのためにThe Specialsを聴いていた。だからフジロックでもThe Specialsを裏でやってるCaribouやTHE D.O.T. を蹴ってでも観ることが、本丸のNoel Gallagher's High Flying Birdsを観ることよりも、その後のJusticeのための体力を温存することよりも重要だった。
彼らのライブは演奏それ自体が力強かったし、また「往年の音楽ファン」たちの満足げな表情とアルコールと汗の混じった臭気が、高校生の僕に「何かの集大成がここにある、そして僕はそれを目撃しているのだ」という確信をもたらした。
それはプライドとは関係なくもたらされた確信だったと思う。彼らは年長者として、彼らと同じくらいの歳の異国のファンに感謝を表明し、同時にそれよりもずっと若い僕らへ音楽というものがいかに愉快適悦を人にもたらしうるのかを音を通じて伝えていた。
ライブレポートを読んでいて知ったが、このライブには中心メンバーのJerry Dammersは不参加だったようだ。彼がなんのパートを担当していたのかすら知らなかったが、調べたところ、彼は幾度かあった再結成期のすべてにおいて招集されていないらしい。なんとも悲しい話だが、まあ長年バンドをやっているとそういうこともあるのだろう。そういうドラマも含めて彼らのライブには何らかのエレガンスさが備わっているのだろう。
いや、実際のところはどうなのだろう。僕が今のRed Hot Chilli Peppersに対して「Josh Klinghofferにちゃんと説明もせずにJohn Fruscianteの復帰を決めてキャッキャとライブツアーをしているおじさんたち」という見方をもっているように、The Specialsの往年のファンの一部も、The Specialsの功労者を除け者にし続ける他のメンバーに対して複雑な想いがあるのかもしれない。
Rico Rodriguezの逝去に寄せたJerryの声明文を読む限り、僕には彼が悪い人間であるようには感じられない。まあRicoは再結成ライブには基本的に参加していないようだし、Jerryとは別のバンドで特別に仲良くしていたようだから、単にこの2人の間柄が美しいものであっただけで、Jerryとバンドとの関係は本当に最悪なものなのかもしれない。
何はともあれ2012年のThe Specialsのライブは僕にとっては美しい時間であり、僕がこの時間において「軽いノリ」が必ずしも軽薄さと結びつくものではないという学びを得たことは確かである。
人はいつか必ず死ぬ。レジェンドも死ぬ。50年代から60年代あたりのレジェントの大半はもうこの世にはいない。一般的に言って、70年代から80年代にかけて頭角を現したレジェントは、いままさに寿命や病と対峙している頃合いだ。僕らが身構えることもなく彼らはこの世を勝手に去るし、僕らはいちいちそれに衝撃を受けたり受けなかったりする。そしてまた90年代以降のレジェンド枠に誰が座すかは確定していない。そもそも今後レジェンド枠というものが成立するのかどうかもよくわからない。それくらいに現代は多様化(a.k.a 分断、サイロ化)が進展している。
だから特別な備えをしておく必要はないが、とはいえ、彼らがライブをすると言っているなら、僕ら若者は、さほど興味がなかったとしても、いつもよりは財布の紐を緩めておいたほうがいい。
僕はなんだかんだいってレジェンドのパフォーマンスを信頼している。たとえ耄碌して醜態を晒していても、なんだかんだ彼らには彼らの尋常ではない経験があるのであって、他の人にはできないことをステージ上で成しうるだけの力がある。その特別な力は僕ら若者へ教育的に働きかける。もし何も感じられなかったとしてもそれはそれで反面教師的に受け取ればいい。
不当に値が張るライブにまで足を運ぶ必要はないと思うが、フェスでレジェンドのライブを観れる機会があるなら、多少無理しても観ておいたほうがいいと僕は思う。
(ふと当たり前のように自分のことを「若者」のうちに含めていたが、平成9年生まれはまだ若者の枠でいいんだよな?)