雑記 2023/01/10 サンプリングが目指す美とは何なのか(クソ大げさ)

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ヘーゲルがシェリングの「芸術は哲学の唯一真にして永遠なる道具にしてかつ証書である」というフレーズで特徴づけられる芸術論を批判する形で、芸術の終焉、より正確には芸術が絶対者の内容を表現するという至上命題から解放され――それと同時にその命題が哲学に押し付けられ――芸術家が真に自由な創造的行為を行うことができる時代が訪れたと主張した――いや、直接は主張してないがそう導けるような体系を示した――という話を見知った。面白い話だったので忘れないように備忘録でこれを使った適当な話を書いて残しておこうと思う。
で、ヘーゲルのいうような事態があるのだとすると、今度は構造主義とか社会構築主義?が前提としてるような、人間が行為するところで生まれる文化(あるいは習慣)によって人間の自由は規制されるというような議論との関係においてこの事態をどう捉えるべきか、という問題が生じると思う。
まあ人間の行為の集積としての社会はもはや所与のものであるのだから、そこで生ずる構造に対して「役立つ」、そういういい意味での自慰行為が芸術である、ということにしてしまえばいいんじゃないか、と考えてみたが、そこでふと「サンプリング」って何に役立っているんだろう、と疑問に思った。いまさらな話かもしれないが。
美学理論をさして学んでこなかったから、美とはなにかという問題について真面目な芸術家たちのあいだでどういうコンセンサスが形成されてるのかはよく知らないのだが、仮にさっき言ったみたいな至上の命題を失った自慰行為としての、トートロジーとしての芸術において、一応の審美性が人間社会に役立つ(=人間の社会から見てそこに価値合理性か目的合理性がある)かどうかで判定されるのであれば、サンプリングは何の役に立っているのか、と問うてみることもギリギリ正当化されるのではないか、と思う(ギリギリだと自覚はしている)。
で、サンプリングは文脈をぶった切ったり、新たな文脈を生成したり、古い文脈を蘇らせたりするが、そのことによって私たちが生きる社会にはどのような変化がもたらされるのか。
ある作品におけるサンプリングは、元ネタの純粋に形式的な表層が切り出され、次いで、芸術家自らが表現するところの作品との表層的な整合性を保ちながら、その作品に導入されるというプロセスで行われる(他の仕方をとるサンプリングもあるとは思うが)。このとき元ネタのメタデータ――作品の成立年代、アーティスト名、曲名、ミクロな時間的前後の関係、ピッチ、ジャンル等々――は捨象され、別の作品のメタデータへ整合性を顧みないままに統合される。したがって、サンプリングという手法は、曲のBPMに元ネタが伸縮される、という意味での表層的な整合性とメタ的な非整合性の二重性において特徴づけられそうだ。
ところで、私たちがリスナーとしてそのサンプリングを用いた曲を聴取するとき、その曲がサンプリングによって成り立っているのかどうかを意識する必要はない。またそのことを意識した場合には、メタ的な非整合性に無自覚でいることもできるし、その非整合性から新たな知的機会を見出すこともできるし、整合的かつ非整合的なその曲において起こっている奇跡に感嘆することさえも許される。
とはいえそれは原理的にはそうだ、ということであって、本当のところ、リスナーとしての私たちの不自由さを強調しなければならない事情がある。
現代の社会が内包している、あるはその上に社会が存立しているところの構造において、私たちは水星からブロウ ヤ マインドを想起せざるを得ないし、Peggyを前にうろたえざるを得ない。つまり私たちは、サンプリングが仕掛ける一貫性にまつわる二重の働きを否応なく感知してしまう。これは現代に生きる我々にとっては割と普遍的な事象だと思う。だからこの事象が何の役に立つのか考えれば、現代におけるサンプリングの意義というものを議論の上では導くことができそうだ。
で、何の役に立つのかと問われても知らんよ、、、という感じなのだが、いや、本当のところを言うとこの話を進めること自体に飽きてきているのだが、適当にパッと思いついたことを書き残すくらいのことはしておこう。
  • 外見的には簡単な事象の背後に――あるいは事象を捉えるところの認識のうちに――複雑な事態が生じていることに興奮したり、そのことを熱心に市井の人間に説いて周ってしまう人にウケそう。時代を超えたい人にもウケそう。
  • 罷免やら違憲審査やら業界団体からの要請などのチャレンジに遭わない限りで法的一貫性を有するという法治国家において、その一貫性を揺すぶり、チャレンジを促し、法的な変革の契機に繋げることができそう。
  • 「サンプリングにおいて表層的な整合性すらも放棄することで二重の意味での非整合性を生み出すこと」を際立たせることに役立ちそう。
  • 金がなくて機材が買えない人に役立ちそうだと思ったが、音楽制作にまつわるあらゆるものがコモディティ化している現状を見るとその有用性は際どい気もする。逆にそういう現状が何かに覆い隠されて見えていない人にとって、サンプリングにまつわるロビンフッド的な虚構は実存的な依存の対象になるのかもしれない。それはそれでよいことだろう。
以上。